何にもない町


(再開した蕎麦屋さん『てらっぱだげ』より見た町の風景)

『詩集ノボノボ』より

何にもない町

 雄勝(おがつ)に行ったのは 

 実は 生まれて初めてだった

 同じ宮城県人なのに 恥ずかしい


 この日は 川に誘われた

 多くの支流を呼び込み 満々として 

 喫水を超えそうに進むタンカーのように

 雄々しく 豊かに流れる北上川

 車は無意識に 河口に向かっていた


 途中 旧知の浜へ行ってみようと思った
 
 その道で偶然出会った あの悲劇の場所

 「大川小学校」

 まさか この奥まった入江に大津波が来るとは

 まさか すぐ裏の小山に逃げられなかったとは

 すぐそばの大きな橋には 今も現れるという

 亡くなったことを知らぬ 子どもたちの霊が


 ハンドルを戻したら 小さな看板があった

 「雄勝で『手打ちそばや』を再開しました!」


 雄勝に入った

 人は どこにもいない

 柔らかき青色の空と海が おだやかに包んでいた

 雄勝石、雄勝硯という至宝を持つ町を

 いや。。。町だった跡地を
 
 ほんとに何もなかった

 でも はじめて来たのでわからなかった

 もともとの街並みが


 高台に ポツンと建った再開した蕎麦屋さん

 ここだけだった

 人が まばらにでもいたのは

 数人のお客さんが 

 みんなとても静かに食べていた


 帰りに 旧役場のほうへ向かった。

 遠くから見れば形はあるが

 近づけば廃墟

 その敷地内に プレハブの復興商店街があった

 ニュースで聞けば 元気いっぱい復興中と感じるが

 でも実際は 数軒のお店 ささやかな商品

 客もほとんどいない

 思わず いっぱい買った

 クジラの缶詰やら ミカンやら お菓子やら

 少ししかない売り物を


 帰りに 店のおばちゃんに聞いてみた

 「町の中心地はどのへんだったんですか?」

 おばちゃんは 指で示してこう話す

 「ここから2,3キロ なんでも店やが揃っていたんだよ」

 「この町だけで買い物も不自由しなかった」

 「床屋や美容院だって何軒もあったんだよ」


 おばちゃんのさす方向を見れば

 私が今通ってきたところではないか

 そこが中心部だったとは知らずに

 無意識に走ってきた

 途中の 自然の風景と思って


 おばちゃんは 帰りに渡してくれた

 「おがつ新聞」という 一枚のプリントを

 地元の方々が編集しているようだ

 そこには 大きく書いてあった

 絆である土地の神社を再建したことが

 しかし その神社とは三畳くらいの

 実に小さな建物だった


 私は恥ずかしかった

 こんなに遅れて訪れたことが

 ニュースなんかで知った気になり

 復興が だいぶ進んでいるように

 錯覚していたことを


 でもひとつだけ ほっとした

 まだ残っていた

 海の町らしい 売店のおばちゃんの

 元気な声が