あったかい日の丸


(友人のアーティストMidoriさんより拝借しました。「ベニスの日本祭」スナップ)
 Midoriさんの作品はあったかギャラリーでどうぞ!(クリック!)

『詩集ノボノボ』より

あったかい日の丸

 イタリアのベニス  日本の祭り

 たこ焼き屋さんとか 屋台がたくさん出たらしい

 そこにはためく日の丸が素敵だった

 そんな写真を見た

 「あったかい日の丸」だ!

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 遠い異国の地で 日の丸に感慨を覚えるのは

 右寄りの人も左寄りの人も きっと同じだろう

 そんなとき ふとよみがえるのは

 いったい祖国の どんな思いだろう 匂いだろう

 もしかしたら 涙をこぼした日の丸弁当の

 しょっぱい味かも知れない

 そこには きな臭さなど みじんもないはずだ

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 ほとんど日本人だけしかいない この祖国

 それなのに 日の丸を始終揚げないと 

 感情が鎮まらない人々が とても多くいる

 いったいどうして

 日の丸をこんなにも渇望するのだろう

 自分も家族も周りの人も 皆日本に住んでいて

 空気のように 日の丸と同化してるのに

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 考えてみるといい

 自分の家柄や財産や能力を誇りすぎたり

 自分の出身校や会社や経歴を誇りすぎる人

 自分がそんな人を見たら いったいどんな気がするか

 国や歴史を誇りすぎることだって

 それと同じことだ

 他の国がしているって?

 なにも真似しなくたっていいじゃないか

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 ふたことめには「誇り」という人がいる

 日の丸を 水戸黄門の印籠のように使いたいらしい

 日の丸は 私たちを土下座させるものではない

 日の丸は 国土であり 自然であり 風習であり

 つまり 私たちと一体のものなのだ

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 だから 本当の日の丸は旗ではない

 日の丸は 黄色い顔をして ずんどうで

 おにぎりが大好きで 熱しやすくて冷めやすい

 私たち一人一人そのものだ

 決して消せはしない私たちの刻印

 私たちの存在そのものが 一つ一つの日の丸なのだ

 旗を揚げなくたってすぐわかる

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 日の丸を わざわざ誇らなくてもいい

 そうしなくたって 誰でも愛おしいはずだ

 どうしても誇りたいなら

 己の人間としての生き様を 自分自身に誇ればいい

 宇宙の日の丸 太陽を見上げながら

 誇りとはただそれだけのものなのだ

 決して「群れ」を誇ることではないはずだ