小さな縁側


(宮崎駿『トトロの住む家』より)

『詩集ノボノボ』より

小さな縁側

 毎夕、老父の飯つくりに通っている

 晩飯、翌朝の飯をつくるから

 不器用男の私には けっこう大変だ

 いや、大変だった

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 最近は ようやく腕が上がり

 ま〜ま〜残さず食べてくれるものを

 つくれるようになってきた

 大根、人参、菜っ葉をきざむ音も

 タタタタタンと リズミカルになってきた

 毎夕、親孝行ができるのは 

 実に嬉しいことだ

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 一昨日 父が二階から降りてこない

 もしかして?

 と不安に思って 行ってみたら

 二階の座敷に腰掛けをおいて

 車うるさき道路を風景に

 窓を開けて 夕涼みをしていた

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 猫の額ほどの土地に建つ

 小さく古い家なので

 庭も 自然豊かな風景もないのだ

 じ〜〜っと 外を眺めている父は

 何を回想していたのだろう

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 その日帰って 私も夕涼みした

 我が家の座敷の障子を開けて

 蝉の声を聞きながら

 ちょっとした庭を眺めながら

 日本酒をチビチビいただくと

 ノスタルジーの懐かしき匂いが

 涼しき風に運ばれてくる

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 テラスに置いてある小さな縁台

 ふと 思い出した

 小さき頃の実家のことを

 たった24坪の土地に建つ 小さな店と家

 立て替えする前 やはり小さな縁側があった

 長さはたぶん一間半(3メートルくらい)

 幅はたぶん半間ほど(90センチ)

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 信じられないくらい狭かったはずだが

 小さい頃は 狭いと感じたことはない

 縁側は 遊び場、涼み場、いろんな場だった

 縁側で カナリアも飼っていた

 「いためふき」という雑巾がけを

 おふくろから よくさせられたものだ

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 縁の下は 飼い犬チビの部屋だった

 縁側の外には 路地ほどの

 細長い庭みたいなものがあり

 父とそこでキャッチボールさえしたものだ

 鶏も飼っていたな〜

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 一階は 

 六畳ほどの店 三畳ほどの「お勝手」

 四畳半の居間 六畳の寝室

 つまり2Kだ

 二階は
 
 六畳一間

 そこに下宿の学生がふたりいた

 こんな狭い家なのに

 大人が四名 子どもが二名もいたわけだ

 どの家もみんな 似たようなものだった

 自慢といえば

 我が家には風呂があった

 近所の子どもが 湯をもらいにやってきた

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 あの頃は 

 どんな小さな家にも縁側があった

 だからかもしれない

 狭かった 暮らしにくかったという

 思い出はあまりないのだ 

 たぶん 同じ世代のだれでもが

 そう感じている

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 どんなに小さな庭でも

 そこに縁側があれば

 瀟洒な坪庭になったのだ

 縁側は 住居と外界とが交錯する

 不思議で 魅力的な場所

 「自然」を感じる場所でもあったのだ

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 いつからなのだろう

 広さ狭さを 面積で考える習慣となったのは

 魔法瓶のような住まい

 城壁のように閉ざした家を

 ほしがるようになったのは。。。